12(twelve)に隠された数字の秘密
2007年 05月 20日
まずは、12に関連する世界中の有名なものを列挙しよう。
1ダースの本数。時計の文字盤。アメリカの陪審員の数。平均律1オクターブの音数。
1フィートは12インチ。星占いの星座数。キリストの使徒の数にして、その聖数。
12ヶ月で一年、12年で一回り。ローマ帝国法典の枚数。最小のサブライム数。
そして、十二支。
いちいち挙げるのが面倒なほど、まだまだある。
12に関する事は、世界中に唸るほどあるのである。
先日、職場で雑談中、十二支の話になった。
どの干支は、どんな性格だとか、そんなありふれた内容である。
では、どうして、干支は全部で12なのか?それが全ての始まり。
世界中には12という数字があふれているのである。
ではなぜか?もっとも単純な答えは、地球の自転周期だ。
単に時計の文字盤や日数の観点から言えば、24時間かけて地球は自転する。
日時計や、天体観測による時間の経過を計算する便宜上、
昼と夜に分ければ、それぞれ12時間づつである。
8世紀、我々人類はインドで、"0"(ゼロ)の概念を生み出したわけだが、
それ以前(紀元数千年前)から、日時計を利用してきているのだ。
12進法は、この天体運行から生まれており、古代バビロニア人は、
新月から次の新月(30日間)を数え、これを12回(12ヶ月)繰り返せば一年とした。
がしかし、それでは納得出来ない事が多すぎる。
つまり、時間や、地球の自転周期なんかに関係のない事においての数、12。
筆者、このところ、気が変になったのかと思うくらい、身の回りの数を数えている(笑)
ついには、道端にある雑草を取り、葉の数を数えだすしまつ。
しかし、答えは思わぬところにあるものである。
祖母の畑に同じ形状で群生する花
12が多く使われる理由。結論から言うと、気持ちいいから。。。(笑)
別な言い方をすれば、その個数だとバランスが美しい。
12だと十分で安心できる数であるからだ。と、筆者は考える。
バランスの美しさを考えると、音楽の十二平均律は周波数的に
美しく響く状態を計算しつくして誕生したものである。
そして、数の上では、日本語において、より十分である意味をもつ
「十二分に…」という語がある。古代英語では、12は「10と余り2つ」という
意味を持っており、同じ意味で、ゲルマン諸語において、
数字は12番目まで固有の呼び方があるのである。
バランスの美しさから、筆者が道端で見つけた雑草の話に戻ろう。
フィボナッチ係数というものがあり、これは、自然の全ての発生の法則であるとされる。
家の近くで見つけた雑草
この雑草の写真から見てとれるように、非常に均整がとれて美しく
まるで、一定の法則によって発生したかのような形である。
このような自己相似はフラクタルと呼ばれる。マンデルブロ集合とか
その辺の名前を聞いた事がある人も少なくないと思うが、簡単に説明すると、
図形の一部を切り取り、拡大して見ても、元の図形と同じで、更に拡大しても
同じ図形が見られるという状態(自己相似)が永遠に繰り返される図形の事である。
フィボナッチ係数と言えば、最も美しい比とされる黄金比がある。
パルテノン神殿と、ミロのヴィーナス像にも、この黄金比(1:1.618)がみられるという。
最近、カオス理論をテーマとした映画がちらほら見られるようになっが、
筆者は、なにもカオス理論を引っぱってくるつもりはない。。。
しかし、世の中のあらゆる物、特に有機物が関与する物事は、一見すると複雑で
大変不規則に見えるものの、実はそこに、決定論的にある一定の法則が
働いているのではないだろうか?と思えてしまう。
時空を超越し、全ての過去と未来が記されるとされる「アカシック・レコード」が
実際に存在するとする神智学的、あるいはオカルト的な考えを
筆者は信じているわけではないが、もし、全てを左右する偉大なる法が世界には
存在すると言われれば、それはそれで神秘的で面白いではないか。
そして、それら法則が働いていればこそ、あるいは12や、黄金比が
心地よく感じられるのかもしれない。
それは何故なら、我々も、その法によって発生し、
そこに生きるからであるとも考えられる。
自己相似をなすカリフラワーの一種:ロマネスコ
ただ、それだと、我々は運命と言う坂を転がっているだけになる。
我々は、自分の足で坂道を登る事が出来、高く上った所で多くを見渡す
喜びを知っている。その方が素敵ではないか。
これら、およそ解明されないであろう理論や、法則を抜きにしても、
単純に黄金比と同じ理屈で、12と言う数字が、我々人間にとって、
大変バランスの良い、利用しやすい数なのではないか?と思うのである。
言語や数が完全ではなかった古代の人類の事を思えば、
単に12と言う数は、それで十分で、そして利用しやすい数であったのだろう。
物理学の父、アインシュタイン愛用の懐中時計
これについては追手門学院大の先生が興味深い体験を
されているので、こちらを参照してもらえれば、より伝わりやすいと考える。
先に記したように、天体の運行から時間や方位を知る方法を得た事など、
我々人類は、数字や言語が産声をあげようとする前から
この数に親しんできたのである。
それは生活の中で最も利用しやすい数であり、
同時に生活のリズム(時間)そのものでもある。
そして、それは、今尚続いている。
つまり、そこにこそ、12が世界で使われる理由があるのではないだろうか?
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映画『バックトゥーザフューチャー』
エメットブラウン博士、未来から持ち帰ったファックス用紙が白紙に戻った事に答えて
「それは、未来は自分で切り開くという事なのさ!」
最後に、多くのヒントと助言をくれた友人と、堀川氏に感謝を贈る。
1ダースの本数。時計の文字盤。アメリカの陪審員の数。平均律1オクターブの音数。
1フィートは12インチ。星占いの星座数。キリストの使徒の数にして、その聖数。
12ヶ月で一年、12年で一回り。ローマ帝国法典の枚数。最小のサブライム数。
そして、十二支。
いちいち挙げるのが面倒なほど、まだまだある。
12に関する事は、世界中に唸るほどあるのである。
先日、職場で雑談中、十二支の話になった。
どの干支は、どんな性格だとか、そんなありふれた内容である。
では、どうして、干支は全部で12なのか?それが全ての始まり。
世界中には12という数字があふれているのである。
ではなぜか?もっとも単純な答えは、地球の自転周期だ。
単に時計の文字盤や日数の観点から言えば、24時間かけて地球は自転する。
日時計や、天体観測による時間の経過を計算する便宜上、
昼と夜に分ければ、それぞれ12時間づつである。
8世紀、我々人類はインドで、"0"(ゼロ)の概念を生み出したわけだが、
それ以前(紀元数千年前)から、日時計を利用してきているのだ。
12進法は、この天体運行から生まれており、古代バビロニア人は、
新月から次の新月(30日間)を数え、これを12回(12ヶ月)繰り返せば一年とした。
がしかし、それでは納得出来ない事が多すぎる。
つまり、時間や、地球の自転周期なんかに関係のない事においての数、12。
筆者、このところ、気が変になったのかと思うくらい、身の回りの数を数えている(笑)
ついには、道端にある雑草を取り、葉の数を数えだすしまつ。
しかし、答えは思わぬところにあるものである。
12が多く使われる理由。結論から言うと、気持ちいいから。。。(笑)
別な言い方をすれば、その個数だとバランスが美しい。
12だと十分で安心できる数であるからだ。と、筆者は考える。
バランスの美しさを考えると、音楽の十二平均律は周波数的に
美しく響く状態を計算しつくして誕生したものである。
そして、数の上では、日本語において、より十分である意味をもつ
「十二分に…」という語がある。古代英語では、12は「10と余り2つ」という
意味を持っており、同じ意味で、ゲルマン諸語において、
数字は12番目まで固有の呼び方があるのである。
バランスの美しさから、筆者が道端で見つけた雑草の話に戻ろう。
フィボナッチ係数というものがあり、これは、自然の全ての発生の法則であるとされる。
この雑草の写真から見てとれるように、非常に均整がとれて美しく
まるで、一定の法則によって発生したかのような形である。
このような自己相似はフラクタルと呼ばれる。マンデルブロ集合とか
その辺の名前を聞いた事がある人も少なくないと思うが、簡単に説明すると、
図形の一部を切り取り、拡大して見ても、元の図形と同じで、更に拡大しても
同じ図形が見られるという状態(自己相似)が永遠に繰り返される図形の事である。
フィボナッチ係数と言えば、最も美しい比とされる黄金比がある。
パルテノン神殿と、ミロのヴィーナス像にも、この黄金比(1:1.618)がみられるという。
最近、カオス理論をテーマとした映画がちらほら見られるようになっが、
筆者は、なにもカオス理論を引っぱってくるつもりはない。。。
しかし、世の中のあらゆる物、特に有機物が関与する物事は、一見すると複雑で
大変不規則に見えるものの、実はそこに、決定論的にある一定の法則が
働いているのではないだろうか?と思えてしまう。
時空を超越し、全ての過去と未来が記されるとされる「アカシック・レコード」が
実際に存在するとする神智学的、あるいはオカルト的な考えを
筆者は信じているわけではないが、もし、全てを左右する偉大なる法が世界には
存在すると言われれば、それはそれで神秘的で面白いではないか。
そして、それら法則が働いていればこそ、あるいは12や、黄金比が
心地よく感じられるのかもしれない。
それは何故なら、我々も、その法によって発生し、
そこに生きるからであるとも考えられる。
ただ、それだと、我々は運命と言う坂を転がっているだけになる。
我々は、自分の足で坂道を登る事が出来、高く上った所で多くを見渡す
喜びを知っている。その方が素敵ではないか。
これら、およそ解明されないであろう理論や、法則を抜きにしても、
単純に黄金比と同じ理屈で、12と言う数字が、我々人間にとって、
大変バランスの良い、利用しやすい数なのではないか?と思うのである。
言語や数が完全ではなかった古代の人類の事を思えば、
単に12と言う数は、それで十分で、そして利用しやすい数であったのだろう。
これについては追手門学院大の先生が興味深い体験を
されているので、こちらを参照してもらえれば、より伝わりやすいと考える。
先に記したように、天体の運行から時間や方位を知る方法を得た事など、
我々人類は、数字や言語が産声をあげようとする前から
この数に親しんできたのである。
それは生活の中で最も利用しやすい数であり、
同時に生活のリズム(時間)そのものでもある。
そして、それは、今尚続いている。
つまり、そこにこそ、12が世界で使われる理由があるのではないだろうか?
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映画『バックトゥーザフューチャー』
エメットブラウン博士、未来から持ち帰ったファックス用紙が白紙に戻った事に答えて
「それは、未来は自分で切り開くという事なのさ!」
最後に、多くのヒントと助言をくれた友人と、堀川氏に感謝を贈る。
by cupido
| 2007-05-20 01:01
| 雑学系とか